「すいません。頑張って来ていただいたのに申し訳ないのですが、明日また当院に来ていただけませんか?」
病気を治したくて病院に来たのに、なぜか追い返されてしまう……読者の皆さんにもそんな経験はないだろうか。そう「インフルエンザ」だ。
インフルエンザの初期診断は難しい。検査は一般的に、鼻や喉の粘膜を綿棒で採取して行うが、その精度は実は60%程度にとどまる。仮に「陰性だ」といわれても、インフルエンザだったという確率が4割もあるわけだ。さらに発症後24時間以上が経過しないと、その精度にすら達しない。高熱が出て、慌てて病院に行っても、冒頭のような医師の言葉で診察が終わってしまうこともままある。
インフルエンザの初期診断は有効な期間が短く、精度もそこまで高くはないのが大きな課題になっている
こんな現状を変えようと、AIを活用したインフルエンザ診断の支援サービスを開発しようとしている企業がある。2017年11月に設立した医療機器ベンチャー「アイリス(Aillis)」だ。
同社が着目したのは、「インフルエンザ濾胞(ろほう)」と呼ばれるインフルエンザに特有の喉の腫れだ。風邪をひいたときなどにも喉が腫れることがあるが、その腫れ方とは形状や色調が明らかに異なり、それを見分けることでインフルエンザを診断できる――代表取締役CEOの沖山翔さんは、2013年にそんな論文に出会った。
ディープラーニングで「インフルエンザ濾胞」を見分けるAIを
濾胞はインフルエンザの発症前からできているため、発症から24時間以上を経なくても診断が可能だ。医学部を卒業し、当時救急医などに従事していた沖山さんは、論文を基に濾胞を見分ける訓練を行ったが、どうしても精度が上がらなかったという。
「論文では、99%以上の精度でインフルエンザを判定できるとあったのですが、自分が頑張っても75%くらいが限界でした。それもそのはず、論文を書いたのは、喉の診察を約40年も続けてきた医師なのです。いくら医師でも、少し練習したくらいではその領域に達せるはずもありません」(沖山さん)
こうした医師の"匠の技"をどうにかして、汎用性の高いものにできないか……そこで沖山さんたちが考えたのが「ディープラーニング」の活用だった。
インフルエンザに感染した際、のどにできる濾胞は風邪をひいたときにできるものとは、形状や色調が異なるという
濾胞を撮影するための内視鏡カメラを開発し、病院などでインフルエンザの疑いのある患者の喉の画像を収集。その患者に対して、精度が100%である「PCR検査(ウイルスの遺伝子を抽出する検査で約2週間かかる)」を行い、その結果を正解データとするAIをディープラーニングを使って開発する。そのAIを内視鏡カメラに組み込むことで、喉の画像からインフルエンザの感染を判定するという仕組みだ。
「診療」のAI化に挑戦、ゆくゆくは診察技術の"GitHub化"を
アイリスでは、この冬のシーズンから、インフルエンザ濾胞の画像データを集める臨床研究を医療機関と共同で行う予定だ。AIを開発した後、治験や薬事承認を経て、2020年ごろにAI搭載内視鏡カメラの発売を目指しているという。
アイリスは濾胞を判定するAIを搭載した内視鏡カメラの開発を目指している
医療業界でもAI導入は進んでいるが、その多くは「検査」の分野だと沖山さんは話す。X線検査やMRIなどが分かりやすいだろう。過去の画像データなどが豊富にある他、判断の基準が機械的(数値的)だ。一方、アイリスがAI化を目指すのは「診察」の分野だ。実際に患者に接して判断するため、数値化や言語化が行いにくい。ただ、それこそがディープラーニングが得意とする分野でもある。
「今開発している製品は、目で見る視診が対象ですが、触診や聴診といった分野もAI化が期待できます。"匠の技"ともいえる、熟練医の診察スキルをAIで再現し、全国の医者に届けるのがアイリスのミッションです」(沖山さん)
文字にできない、暗黙知ともいえるノウハウをAIという形で記録し、再現することで、そのノウハウは世界中で共有可能なものになる。沖山さんはこのインパクトを、活版印刷による情報革命と比較して、こう説明する。
「人間は文字を発明することで、情報を記録し、知識を共有できるようになりました。活版印刷がそれを広める役割を担ってきたわけです。一方、暗黙知や身体知のような、非言語的なノウハウについては、ディープラーニングをはじめとするニューラルネットワークが情報をストックする手段になるでしょう。それを広めるのはインターネットです。
いずれは名医の診察スキルをダウンロードして使える――全医師で共有できる時代が来るでしょう。医療だけではなく、美術や音楽といった分野でも同じことが起きるかもしれません。私たちは診療技術を共有し共創する、いわば"GitHub化"を目指しているのです」(沖山さん)
診察技術をAI化することで、それを全世界の医師へと共有できる形にする。それがアイリスの目指す世界だという
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